過去の連載
第3回 『再考:働き方改革 「学校でやれることはやり尽くした」は本当か』
第4回 『教育委員会はなにするところ?学校改善の伴走支援者としての教育行政』
第9回 『子どもには点数をつける割には、学校は評価キライ?「測りすぎ」時代の学校評価、改善を考える』
■年度末の反省、カタチだけになっていないか?
早いもので年度末ですね。この時期には、全国各地の学校では、年間を通じた振り返りが行われることが多いです。学校評価あるいは年度末反省です。
学校は4月に新入生が入ってきて、3月には卒業式。職員も4月に異動がありますし、年度単位で動いていることが多い。なので、年度末のこの時期に1年間を振り返り、次年度に向けた改善策を練っておくことはとても大切なことだと思います。
ですが、学校によっては、こうした活動が形骸化しているところ、あるいはとりあえずアンケート等はとったものの、背景の分析や改善策の立案にあまり時間をとれていないところも、多いのでは?
学校評価について学校教育法ならびに学校教育法施行規則で定められ、自己評価が義務付けられたのは、平成19(2007)年。約20年前のことです。この20年の間に、学校は、組織の評価や改善に熟達したでしょうか。あるいは、トーンダウンしているのでしょうか。
同じ年度末の時期には子どもたちに通知表を渡します。子どもたちには点数や評定を付けるわけですが、教職員は、自分たちが評価されることについては、嫌がっている、あるいは苦手意識があるようにも見えます。
■測りすぎの時代
というのも、この約20年の間に、学校に限りませんが、行政のさまざまな分野で、PDCA、あるいは数値化された目標を管理しようとする動きが加速しました。教育分野を含めて、行政計画の多くには、数値目標が設定され評価の対象となっています。厳しい財政事情のなか、進ちょくが芳しくないものには予算を付けないぞ、というわけです。 税金の無駄使いや成果に意識が向かない姿勢は、もちろん問題です。ですが、数値化された目標管理のもとで、どうも変な方向に行っている。意味のある評価につながっている感じがしない。そんな感触をもつ方も多いのではないでしょうか。
・そもそもその指標、評価方法は妥当か
・目標値は妥当か
・ほかにも重要な価値や目的・目標があるのではないか
などなど、さまざまな疑問が浮かぶのです。
日本に限らず、米国などでも問題は深刻化しています。ジェリー・Z・ミュラー著、松本裕訳(2019)『測りすぎ―なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?』という本が参考になります。この本では、教育のみならず、医療やビジネス、行政などでも、定量的な評価、業績評価が組織をダメにしてしまうことを、豊富な具体例をもとに解説してくれています。学校だけの問題ではないのですね。
わかりやすいのが医療、病院。ニューヨーク州では、冠状動脈バイパス手術の術後(30日後)死亡率をもとに、心臓外科医の成績表を公表しています。患者目線から見ると、有益な情報のように思いますよね?死亡率の低い医者にかかりたいと思うのは自然な気持ちだと思います。
ところが、この成績表には副作用がありました。外科医が症状の深刻な患者の手術をやりたがらなくなったのです。評価、公表されるデータには、手術を受けた患者のみが対象であり、外科医が手術を拒否した患者は含まれていません。こういう問題を「上澄みすくい」と言います。
このように、ごく限られた指標で評価するために、目標を達成するという手段が目的化してしまうこと、不正や不正確な報告等が横行することはよくあります。日本の学校教育でも、他人事ではありません。全国学力・学習状況調査で、平均点を上げたいあまりに低学力層の一部の子の分を送付しなかった学校のことが報道されたこともありますし、働き方改革では、勤務時間の縮減を目指すあまり、自宅持ち帰りなどで残業がむしろ見えないようになっている問題が多数報告されています。
また、学校評価でも、アンケートをもとに「学校に来るのが楽しいという児童生徒が95%もいました」と喜んでいる校長らを見ると、わたしは、違和感をもちます。残りの5%の子はどういう思いなのだろうか、ということ、またその少数派をどうするかのほうにもっとアタマと労力を割く必要があるようにも思うからです。
前掲の『測りすぎ』では、以下の問題に警告しています。
・測定されるものに労力を割くことで、目標がずれる弊害
・ 短期主義の促進
・リスクを取る勇気の阻害、イノベーションの阻害
(失敗等を重ねながら長期的に取り組むことが評価されにくくなるため、リスクを取ろうとしなくなる。また、評価はまだ誰も試みなかったことへの挑戦や実験を妨げる。)
・ 協力と共通の目標の阻害
(個人に対して報酬を与えると、共通の目標への意識や協力が減退する)
・時間コストがかかること
・規則の滝(数字の改ざんや不正などを止めようとして、組織はたくさんの規則をつくって従わせようとする。)
学校運営や教育行政にも多々当てはまることがあるように思います。
■どうしていくか
どうしていけばよいかは難題です。評価をすること自体が目的化しているようなものは、いったんストップしたいところですが、現実には動き始めたものを止めるのは至難の業でしょう。 各学校や教育委員会等ができることとしては、評価やPDCAということを全否定はしなくても、意味のあるもの、やってよかったと思えるものに少しでも変えていくことです。
第一に、指標や測定方法をより納得感のあるものに変えることです。たとえば、ある教育委員会の計画では、学校の働き方改革に関連して、勤務時間の縮減目標に加えて、有休取得率を挙げていました。たしかに有休はもっととってほしいですが、多くなったからといって、それが教職員のやりがいや働きがいが高まった、と評価するのは無理があるように思います。働きがいに注目するなら、私は、ストレスチェックの結果や離職率、あるいはワーク・エンゲイジメント調査などを参照するほうがよいと思います。
第二に、教育委員会や校長から教職員等へのメッセージとして、数値化されないところの価値も語っていくこと、共有していくことです。たとえば、先ほどの働き方改革の例を続ければ、学校の働きがいと働きやすさの両方を高めていきたい、もう少し平たく言うと、教職員を大切にしていきたいという趣旨を述べた上で、数値化された指標でモニタリングできるのは、そのほんの一部に過ぎないということを共有する必要があります。 第三に、データをとってA、B、C、Dなどの評価を付けることだけで満足せず、データや評価結果を参照しながら、どういうところを改善していけるか、アイデアを出し、議論する時間と場を大切にすることです。
忙しい学校や教育委員会等では、評価シートを埋めることで手一杯になっています。でもそれでは、もったいない。春休みなども利用して、考察、議論する場をつくらないと、教職員の多くは、評価シートを眺めても「ふーん、そんなものか」程度で終わってしまいます。 なんのための評価なのか。繰り返しになりますが、評価することが目的ではないはず。少しずつでも改善につながるものに変えていきましょう。
※妹尾昌俊『学校をアップデートする思考法-学び続けるチームになる』学事出版の一部に加筆修正して作成しました。


