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手帳指導コラム

NOLTYスコラ プログラム

中学校・高校の「手帳」に関する記事をまとめています。

2022.06.15

スコラ手帳との出会いは自分にとっての転換期―「死にたかった発達障がい児の僕が自己変革できた理由」著者・西川幹之佑さんインタビュー

2022年2月に「死にたかった発達障がい児の僕が自己変革できた理由 −麹町中学校で工藤勇一先生から学んだこと」を出版された西川幹之佑さん。著書の中で、中学校時代に出会ったスコラ手帳を「自分を自律した存在にしてくれるツール」としてご紹介くださいました。

西川幹之佑さんと、幹之佑さんを見守り寄り添いつづけたお母さまに、スコラ手帳についてお話を伺いました。

 



 

【西川幹之佑さんプロフィール】


2002年、新潟県三条市生まれ、東京育ち。幼稚園中退。千代田区立麹町中学校、英国・帝京ロンドン学園卒。現在、帝京大学法学部政治学科に在学中。高祖父は帝大の教授で測機舎の創業者である西川末三、高祖母はロシア文学の翻訳と社会運動家として有名な神川松子。高祖父から4代続けて東大卒の家系に生まれ、周囲から東大入学が当然と期待されるもADHDとASD傾向、学習障がいのため小学校2年生まで特別支援学級に在籍。その後通常学級に転籍したものの学習面・社会面で壁にぶつかり、生きる意義を見失い小学校3年生で死を考えはじめる。小学校卒業後、当時麹町中学校校長であった工藤勇一氏に出会い、「自律」という考え方を学び人生が一変する。在学中に英検準2級、ニュース検定2級を取得。コロナ禍で将来について考えるうちに、自分のように苦しむ発達障がい児の役に立てることがあると考え、2022年2月に「死にたかった発達障がい児の僕が自己変革できた理由 −麹町中学校で工藤勇一先生から学んだこと」出版。

 


 


――スコラ手帳を使い始めたきっかけを教えてください。


幹之佑さん 僕が麹町中学校に入学した当時、学校に導入されていたのがスコラ手帳でした。中1の4月のオリエンテーションに配布されました。の後にNOLTYプランナーズの社員さんから活用方法などについて説明を受けました。

僕は小学生のころから字を書くことが苦手でしたし、予定などをノートや手帳に書き込む習慣もなかったため、スコラ手帳を使い始めた当初はとても雑に書いていました。しかし続けていくうちに予定や連絡事項をタスクとして書き込む習慣が徐々について、それまでは毎日のようにあった忘れ物も40~50%程度は減少しました。スコラ手帳のおかげです。


 

――お母様から見て、スコラ手帳を使って幹之佑さんが変わったと思うことはありますか。


お母様 幹之佑にとって手帳は、私がどうこう言わなくても、自分で「今日は○○をやる」とか「○時に予定が入っている」というのを書き込んで管理するツールになっています。手帳が活用できていて、自己管理が身についたということですよね。

あとは話を聞いてメモを取る習慣もついたと感じます。


担当編集者 最初の打ち合わせでも、幹之佑さんが手帳にたくさんメモを取っているなとは思っていました。私が言うことはメモするほどでもないのに…と思いながら(笑)。


幹之佑さん メモをしないと、内容がわからなくなってしまうので。


お母様 スコラ手帳に出会って、ツールが非常に大切だと感じましたし、親が知らないツールや使い方を学校で提案してくださったのは大変ありがたかったです。たくさんの選択肢があると知りました。

 



――学校では手帳についてどのような指導を受けましたか。


幹之佑さん 麹町中学校では、先生方から「とにかく手帳を使ってみよう」と呼びかけられていました。


お母様 「勉強で使うもの以外は校内に持ち込んではいけない」というルールのある学校もあると思いますが、幹之佑のような発達障害の子たちにとっては、安心できるものを身近に持っておけるのはとても大切なことなのです。3年間同じ内容・構成で「何を書き込んでもいい」手帳を、授業の時でも、全校朝礼や講演会の時でも携えておけたのは、本人にとって安心感につながっていたように思います。

 


――幹之佑さんは字を書くことが苦手だとおっしゃっていましたが、なぜスコラ手帳は習慣化することができたのでしょうか。


お母様 「忘れてしまうから書き留めておきたい」という気持ちからだと思います。幹之佑はスコラ手帳に予定やタスクだけでなく、メモもたくさん書いていました。幹之佑が在学していた当時の麹町中学校では、大人の方を学校に招いての講演会が度々あったのですが、そういった外部の方のお話を聞く中で、幹之佑は「書き残さないともったいない」と思い、スコラ手帳にメモを取るようになったのだと思います。


幹之佑さん 校長先生が朝礼などでおっしゃったことや、来校者の講演について自分の解釈を交えながらスコラ手帳にメモを取っていました。書き残さないと10年後くらいに後悔してしまうと思ったので。結果として書き残しておいてよかったと思いますね。


お母様 先生から「手帳に感想文を書け」と指導されていたとしたら、ここまで書かなかったと思うのです。合格点をもらうために書くのではなく、自分が感じたことを自由に書くことができたのがよかったのではないでしょうか。タスク管理以上のものをスコラ手帳が与えてくれたのだと思います。

 


――自分の感じたことや、忘れたくないことを書いていく中で、スコラ手帳に愛着を持つようになっていったのですね。


お母様 それに加えて、スコラ手帳は表紙も自分好みにカスタマイズできるので、とても愛着がわきやすいと思います。ADHDの子は忘れ物をしやすい特性がありますが、自分が好きに作ったノートや手帳であれば、思い入れがあると思うので忘れないのではないかと思います。


幹之佑さん 僕もスコラ手帳の表紙にはその当時に一番興味があったものを描いていました。手帳の中にも予定やタスクだけではなく、趣味や好きなことも書いていましたね。


 

▲幹之佑さんが中学3年間で使っていたスコラ手帳の表紙

 

幹之佑さん 中学卒業後もこのスコラ手帳だけは手放せませんでした。仮に家が火事になったとしても、思い出の詰まったスコラ手帳を持って逃げたいですね(笑)。

中学を卒業してからも、NOLTYの手帳をかれこれ7年近く使い続けています。今後もNOLTYの手帳にお世話になると思います。

 


――当時と現在とで手帳の使い方は変わりましたか。


幹之佑さん 今もスコラ手帳に近いバーチカルタイプの手帳を使っているので、基本的に変わっていません。スコラ手帳で確立した使い方に少し手を加えるくらいで十分でした。


お母様 ASDの子は一度決めたやり方を続けることに安心感を覚えるのです。変えると不安になってしまうので、基本あまり変えないですね。



――手帳と併用してスマートフォンの予定管理アプリなどは使っていますか。


幹之佑さん あまり使っていないですね。起動までに時間がかかったり、他の通知が気になってしまったりして、その間に書きたい内容を忘れてしまうためです。

手帳の方がぱっと出せて見やすいし、人の話を聞きながらでも書き込めるのがよいです。スマホだと時間がかかり話に追いつけなくなることがありますが、手帳に書き込めば話のスピードになんとか追いつけるので、紙の手帳にメモをするようにしています。とりあえずなんでも書いておいて、あとで見返しています。


お母様 今はADHDの子向けのアプリがたくさんあるものの、小中学校や高校では私物のスマートフォンやタブレットを持ち込んで自由に使うことは難しいと思います。やはりいつでもすぐに書き込めるノートや手帳はとても大切なのですよね。


▲著書の表紙に書かれている「自分を見直せ 今をだ」は、2016年度のスコラ手帳の見返しに書き留めてあったもの


 

――幹之佑さんにとってスコラ手帳はどんなものでしょうか。


幹之佑さん 一言でいえば「転換期」でしょうか。スコラ手帳を活用し出してから、忘れ物をすることがかなり減りました。スケジュールやタスクの管理もできるようになって、生活全般がガラッと変わったので、スコラ手帳様様ですね。


お母様 この子はこのスコラ手帳のおかげで自信を持てるようになったので、一人でも多くの子に使っていただけるようになったらいいなと思います。

 


――今後の目標やってみたいことはありますか。


幹之佑さん 可能であれば、NOLTYさんと新しい手帳の商品開発ができたらいいなと考えています。スコラ手帳をもっとシンプルにしたような手帳があれば、私と同じような発達障害の子たちにとってすごく良いのではないかと思います。私自身、発達障害やADHDなど関係なく「人の役に立ちたい」「社会全体を変えていきたい」という想いがあり、その一環として実現できたらなと思っています。


お母様 定型発達の子たちでも手帳が必要だと思うので、発達障害の子たちにはもっと必要なのではないかと感じます。先生方の負担も減るような、自分たちだけでなく学校全体の課題解決にもつながるようになれば手帳があればいいなと思いますね。また、発達障害の大変さやつらさは万国共通で、悩んでいる方は世界にたくさんいらっしゃいます。いい製品が日本にあるのだから、国を問わずたくさんの方に使っていただけたらいいなと思います。



西川幹之佑さん著書

「死にたかった発達障がい児の僕が自己変革できた理由 −麹町中学校で工藤勇一先生から学んだこと」



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