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第2回 一生愛せるのか:研究領域の最終転換
みなさんこんにちは。
今回2回目になります。
前回は、私の「なりたい職業」の結末をテーマに、クランボルツの計画的偶発性理論を簡単にご紹介しました。
今回は、私の研究テーマの直近の変化について振り返りたいと思います。
前回、私の研究領域が心理統計学から高等教育開発へと変わったことにさらっと触れましたが、実際のところ学位取得後の研究領域変更は、人生におけるそこそこ大きな決断だったと今では思います。どういう状況のもと、どのような思考を経て、なぜ、この決断に至ったのか、このあたりについて振り返りたいと思います。この振り返りが、皆さんも「自分はどうだろう」と考えてみたり、自分の意識の根本に気づいたり、何かの行動を変えようとしてみたりするきっかけになれば幸いです。
まずは、心理統計学と高等教育開発という二つの領域についての簡単に解説しようと思います。
私の現在の研究テーマは紹介にもあるように、広い意味では高等教育開発です。FD(ファカルティ・ディベロップメント:Faculty Development)といったほうが的確かつ通用性が高いかもしれません。FDとは教員の能力開発のことで、大学教員の教育力だけでなく、研究能力やマネージメント能力など全ての活動の能力を高めるためにはどうしたらよいか、ということを研究して実装につなげる実学的な専門領域です(という理解を私はしています)。私の場合、具体的には、ティーチング・ポートフォリオの普及支援と教員のための教育力向上に関する「質の高い」FDプログラムの開発、そして、広くは人材育成が研究テーマであり、これらの研究や取り組みの成果が「正しく」広がり、日本の教育がよりよくなって良い未来が拓けていくことを目指しています。
一方、心理統計学は、私が大学院に在籍していた頃の専門分野です。人の性格特性や行動の傾向、能力などは直接的に測定することはできません。そこで、これらの測定方法や分析方法を開発したり、性能を高めたりする―そういったことを研究するのが心理統計学です。ちなみに私の修士論文のタイトルは「効果の大きさの区間推定の頑健性~コンピュータ・シミュレーションによる検討~」、同じく博士論文は「集団単位のデータ収集によって生じる観測値の非独立性が統計的検定の危険率および検定力に与える影響」です。いわゆる「理系」の研究アプローチをとります。ですので、FDとは研究領域としてはかなり異なります。
大学院博士課程に在籍していた当時、博士論文を書き進めるほどに、学位取得後の私のキャリア展望はどんどん不明確になっていきました。このまま大学の研究者になる道が濃厚になっており、順当にいけば心理統計学という分野で生きていくことになります。博士論文の研究テーマは、もちろん当初は自分で面白いと思って選び、こつこつ進めてきたものですが、今後も一生、時間を忘れるほどに研究し続けられるのか?情熱を傾けられるのか?という自身への問いに対し、自信や覚悟がなくなってきていました。つまりは「自分はこのテーマをさほど愛していない」ことへのぼんやりとした気づきが芽生えていたのでした。しかし、その直感を抑え込むべく、「今は博士論文の執筆がつらいからそう思っているだけで、私はこれまでこの研究を長らく続けてきたのだから、きっとこの先もいけるはず」と、自分に言い聞かせようともしていました。
こうしたモヤモヤした気持ちを抱えた日々を過ごす中、ちょうど博士論文完成の目途がたったあたりで、家族がMBA留学をすることになり、私も単なる帯同家族ではなく研究員として大学に籍をおこうと考えました。博士論文完成のその先にある新しいテーマの研究に踏み出すことで覚悟を決めたかったのです。めぼしい大学の研究室や学部長(もちろん面識はありません)に履歴書を送りました。幸い、一箇所から「来てもいいよ」と連絡をもらうことができました。これが、カーネギーメロン大学の統計学部のブライアン・ジャンカー博士(注1)の研究室でした。
私の身分は外来研究員(Visiting Scholar)というもので、学生でも教員でもない自由な立場でしたから、ブライアンとの週一回のミーティングで次の研究構想の指導を受けることができました。彼は大変親切で、研究するだけでなく大学院の授業も自由にとってよいといってくれました。この一言が、私の人生の転換点になります。
統計学を専攻する修士課程の学生必修の授業があるとのことで、興味本位に早速受講することにしました。それは「Perspectives on Statistical Practice & Statistical Pedagogy」(統計的実践と統計教育の視点)(注2)という名称の授業で、統計学の専門家としての知識やスキルを学ぶという内容でした。モチベーションや記憶の仕組み、模擬授業、研究倫理、他の研究領域との協働、キャリアパス、などです。この授業が必修科目として位置付けられていることに感動し、また、その内容にも感動しました。
私は、大学院生時代に素晴らしい師(注3)にめぐりあい、多くのことを学ぶことができました。しかし、たまたま運が良かったということにすぎません。カリキュラムとして、専門家として必要な知識やスキルを体系的に学ぶ機会が整っていなければ、専門家、なかでも大学教員の教育面の質を担保することはできないだろうと強く感じました。
日本の大学に良いところはたくさんある、しかしながら、大学教育を担う人材の育成が制度として整っていないという実感に、言いようのない危機感を感じました。そこで、研究というよりは実務的な意味で「日本の大学を、人材育成の観点から良くする」ために働きたい、とこのとき決めたのでした。これが、心理統計学からFDに専門を変えた瞬間になります。
また、さらに言えば、その根本には母性も働きました。私には当時2歳の娘がおり、さらにおなかに二人目の子もいました。この子達に「日本の大学、おすすめだよ」と言いたいし、この子達のために日本の未来を明るくしたい、と思ったのです。
結局、カーネギーメロン大学における統計学の外来研究員としての成果は何も出せず、第二子の出産もあったため、身分の契約更新はできず1年でクビになりました。しかし、ここで得た経験は大きく私の人生を変え、その1年後には大学評価・学位授与機構(現在は大学改革支援・学位授与機構)に就職が決まり、そこで大学の評価という実務に携わるなかで、ティーチング・ポートフォリオと出会い、高等教育開発の専門家としての道を歩み始めたのでした。(付け足しになりますが、心理統計学の知識やスキル、つまりデータ解析や推論の方法は今も大変役に立っています。)
この一連のエピソードはまあまあ計画的偶発性理論があてはまると思いませんか?
注1:https://www.stat.cmu.edu/~brian/
現在は名誉教授になっていらっしゃいます。項目反応理論の専門家です。
注2:https://www.stat.cmu.edu/~brian/701/syllabus.pdf
当時のシラバスが残っていました。
https://www.stat.cmu.edu/~brian/701/notes/lec1.pdf 初回のスライドです。
注3:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E9%A2%A8%E5%8E%9F%E6%9C%9D%E5%92%8C 南風原朝和先生。現在広尾学園中学校・高等学校の校長先生です。


