貴校の「ドルトンプラン」に基づく教育理念・方針を教えてください。
ドルトンプランは、「自由」と「協働」を重視しています。当学園では、この「自由」を、「自分のやりたいことを最大限追求できる環境を自ら作り、新たな価値を生み出すこと」と定義しています。しかし、自由にやっていいからと言って、自分勝手な行動によって他者の自由を奪ったり、困らせたりすることがあってはなりません。「折り合いをつけつつも、互いの自由を尊重し、それぞれの力を最大限に発揮できるような環境を共に築いていくこと」も重要です。それが「協働」です。この「自由」と「協働」は表裏一体であり、当学園の教育の根幹をなしています。
そのため、生徒にも教員にも、トップダウンで指示することはほとんどありません。どのようにすれば最善か、全員で共に考えます。教員や生徒それぞれの個性や強みを最大限に生かせるような広大な牧場を用意するイメージで学校を創り上げています。
試行錯誤するなかで当然うまくいかないこともあると思います。そのような自由な挑戦を歓迎する風土はどのように作っていますか?
当然ながら、試行錯誤の過程でうまくいかないことや失敗はつきものです。正確には「失敗」というより、初めてのことに挑戦すれば、知識やスキルが不足しているため、うまくいかないこともある、というだけのことです。なぜうまくいかなかったのかを自ら振り返り、必要であれば他者と意見を交わしながら、そこで得た気づきをもとに、不足を補ったり、新たなスキルを習得したり、知識を深めたりして次へと進む、この繰り返しが重要だと考えています。
また当学園には「管理」という概念がありません。生徒を他者と比較することもありません。定期テストを実施しないのもこのためです。同じテストを同じ時間で行い、点数の優劣で生徒たちを比較するといった、画一的な物差しで評価することはしません。
生徒も教員も、一人ひとり個性を持つ異なる存在です。そうした多様な存在を一つの基準でランキング付けし、評価しようとすれば、当然ずれが生じます。画一的な物差しで測れる要素にしか注目せず、それに対して一喜一憂したり、「もっと頑張れ」と鼓舞したりすることに、私たちは意味を見出していません。
一方的にマネジメントしたり、管理したりせず、それぞれの自主性を尊重し、やりたいことを自由に追求してもらうというスタンスです。少々極端な表現かもしれませんが、「生徒に任せる」という姿勢です。
任せるだけで、生徒たちは自主的に行動し始めるものなのでしょうか?
小学校6年生までの間、大人の言うことを真面目に聞いてきた子がほとんどです。そのため、入学当初はギャップを感じる生徒も少なくなく、「先生、どうしたらいいですか?」と、具体的な方法や意見を求めようとします。
しかし私たちは、「まず自分で考えてごらん」「自分はどうしたいの?」といった問いかけから始めます。どんな生徒でも、時間をかければ必ず自らの考えを導き出すことができるので、そのプロセスに多くの時間を費やしています。自ら考え、行動する習慣を身につけ、やりたいことを見つけ、追求していくことを促しているのです。
開校して今年で7年が経ち、教育方針も徐々に浸透してきています。そのため、近年では、このような環境で学びたいという強い意志を持って入学してくる生徒も多く、彼らは最初からそうした心構えを持っています。その一方で、学校説明会などでは、「自分で考えて行動できる子でないと駄目なのでしょうか?」、「うちの子はおとなしく、大人の言うことを聞くタイプなのですが、そんな子でも大丈夫でしょうか?」といった質問も保護者の方々からよくいただきます。それに対しては、「全く問題ありません」と答えています。これは、大人が勝手に理想像を作り上げ、そこに当てはめようとするから、何か足りないと感じたり、違うと思ったりするだけです。主体性を育むには環境が重要なのであり、特別な素質が必要なわけではありません。
他者と協力し調整する力、「協働」についてはどのように指導されているのでしょうか?
具体的に言葉で語りかけるというよりも、学校の授業や様々な取り組みを通じて生徒たちが自ら気づくよう促しています。
自分で考えて、実行することももちろん重視していますが、グループでの活動という場面を非常に多く設けています。これは教科の授業はもちろん、教科の枠を超えた探究活動や、校外の活動でも同様です。そうした中で、生徒たちは一人ではできないことに気づく機会がたくさんあります。
例えば、学校行事やイベントなど、様々な取り組みを通して、自分一人ではできないわけではないけれど、質の高いものを生み出すには限界があるということに気づくのです。そして、この人の力を借りれば、もっと良くなるのではないかという発想が生まれ、自然とお互いに協力し合おうという「協働」の意識が芽生えます。私たちは、そのようなグループワークを意図的にカリキュラムに組み込んでいます。
生徒がより活発になるきっかけを与えたり、あるいは気づきが足りないと感じた場合には、もう少し関わりを促したりと、予定調和ではない、その場の状況に応じたアプローチを常に考えています。その場で気づいたことを柔軟に取り入れ、方向性を調整していくのです。
ドルトンプランでは、学校を「実験室」と捉えることがあります。教育を実験に置き換えるという考え方は、一見、妙に思われるかもしれませんが、世の中の新しい挑戦は、最初から成功するわけではありません。まずは思いついた最良の方法で試行し、うまくいかなければ振り返り、改善して再度挑戦する。このような「人生は一生実験の繰り返し」という考え方が、当学園のベースにあります。
常に柔軟性を持ち、試行錯誤しながら修正を加えているのですね。では、探究的な学びについてはどのようなアプローチをされているのか教えてください。
すべての学びが探究的なアプローチで構成されています。教科の学習とは別に、「総合的な探究の時間」を設けて探究活動を行う学校も多く、探究活動のために教科の時間が削られるのは本末転倒だという意見もよく耳にします。しかし、私たちは教科の学びと探究は対立するものではなく、十分に重なり合うものだと考えています。
教科の学びも教員が一方的に教えるのではなく、「アサイメント」と呼ばれる自学を促す「学びの設計図」を全教科・全学年・全ての単元で作成しています。そこには、学習の目的や到達目標、学習の方法と手順、課題が示されていますが、それをどのタイミングで、どこまで深く掘り下げて学習を進めるかは、生徒自身が考えます。
つまり、中学・高校で学ぶ教科書の内容は、生徒が自らペースを作り、自学自習で進めることができる形になっています。せっかく生徒たちが一堂に会して授業をするのですから、その時間には「社会のリアルな課題を解決しよう」とか、「みんなで一緒に実験をしてデータを取ろう」といった、より協働的で実践的な活動を行っています。
このように学校の教室で行われる授業そのものが、探究的な活動となるよう設計されています。そして、授業で培ったスキルを活かし、生徒が自ら新しいテーマを見つけて徹底的に探究したり、外部機関と連携したプロジェクトに取り組んだりする活動へと繋がっていきます。
2024年度には1期生が卒業されました。進路についてはどのようなサポートを行っていますか。
全員に統一模試を受けさせ、偏差値に合わせて志望校を決めるような指導アプローチは一切行っていません。その代わりに、一学年約100名いる個々の生徒に対しては、対話を通じて、それぞれが自身の進路を発見していくような、きめ細やかなサポートを行っています。
生徒は6年間で取り組んできたことを踏まえ、将来どのようなことをしたいのか、そのためにどのような学びが必要なのかを具体的にイメージし、それを実現するための大学選びを行います。
例えば、いわゆる受験学力がまだ足りない段階で「この大学に行きたい」という目標を見つけた場合、埋めなければならない学力ギャップが生じます。それを残りの期間で埋められるかどうかは、まさに自分との勝負です。目標が定まると、人が変わったかのように勉強に打ち込む生徒もいます。「この目標を達成するためには、今やるしかない」と覚悟を決め、取り組むのです。
そうした必然性、必要性は、自分のやりたいことを達成したいという明確な道筋があり、「そのためにはこの大学に行く」という強いマインドから生まれます。もし準備が足りず、結果として失敗したとしても、もう一度チャレンジする生徒もいますし、私たちはそれを止めるようなことはしません。
1期生の進路実績は、学校が一生懸命学力をつけてあげたから良い大学に行けたという結果ではなく、「生徒が自ら選び、努力し、先生もサポートした結果」が表れたと思います。
最後にこの6年間を振り返り、今後の展望についてお聞かせください。
学校としての流動性を高めたい、もっと社会に溶け込ませたいと思っています。効率性を追求しすぎると物事が「型」に固定化されがちですが、私たちはその型をなるべく決めず、常に「流動性」を保ちながら教育を整えていく方法を探っています。
もちろん、学校や教育は社会システムの中に組み込まれています。中高を卒業し、進学、就職するというのが一般的な流れです。この社会全体の流れがある程度固定化されている以上、社会のニーズに合わせた学校としての使命があるのは当然です。しかし、社会の型の中で行う改革には限界があり、社会そのものを変えていくことの方が重要だと考えます。「社会を私の力で変えてみせる」くらいの勢いのある生徒を輩出するのが、私たちの次の使命です。
また、ある測定ツールを使って13項目の非認知能力を定点観測しているのですが、一期生の中学1年次と高校3年次、そして日本の平均的な中高生と比較すると、当学園の生徒は入学当初の段階で特別にスキルが高かったわけではないにもかかわらず、高校3年次には非常に大きく伸びていることが分かりました。
定量データだけでなく、生徒に多くのイベントで振り返りの文章を書かせており、内省を促し、次に踏み出すための要素を見つける訓練を積ませています。この定量的データと内省の記録を組み合わせることで、「どのタイミングで、どのような行事で、何を振り返らせれば、より生徒が成長できるか」ということも分析しています。
もちろん、成長のプロセスは一律ではありませんが、性格や成長意欲、そして6年間での経年変化をリンクさせると、「このようなタイプの生徒には、この行事がフィットして伸びる」「この時期には、この力が伸びやすい」といった傾向が見えてきます。
一期生のデータから明らかになったのは、「共感・傾聴力」がある生徒は、全体の力が総合的に伸びるということです。極論、学校で育成すべき力は「共感・傾聴力」だと言えるかもしれません。人の話をしっかり聞き、自分だけの意見に固執するのではなく、人と共にあることで学べる力が最も大きいのです。この力を伸ばすことで、相対的にすべての非認知能力が向上し、それは認知能力の向上にもつながると考えています。
かつては理想の人生というモデルがあり、それで収入が得られ成功できた時代もあったでしょう。しかし、もはやそんな時代ではありません。人に無理に合わせて苦労するくらいなら、「自分はこうしたい」というのを最大限にアピールして生きていってほしいです。もちろん、それが他人の邪魔になったり、法律を犯したりすることは別の問題です。そこは「自由」と「協働」を意識して、恐れずチャレンジしてほしいです。


